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そこにパンダはいなかった。(後編)
「私は大地の子ですから。」
これは『大地の子』の最後の言葉である。この言葉は、自分が今までに読んだ本の中で一番心に響いた。そして、中国という国を意識しはじめるきっかけとなった。
『三国志』『水滸伝』『楽毅』など、元々中国の歴史小説が好きで、自分なりに中国に触れてはいたのだが、市民レベルの視線での本は『大地の子』が始めてであった。この本では歴史的な背景はもちろんのこと、中国という国の特有性を強く感じた。当時は今よりもさらに幼かったが、それなりに中国という国について考えた気がする。そして月日は流れ、今年の春、東京JC主催の「国際貢献ミッションin China 2006」で中国を直に触れるチャンスに巡り会えた。ここでは中国(北京・上海・合肥)の表面を掬った、いや、触れたぐらいだった。
そして、UAAのworkshopで建築的な視点から中国の首都、北京、に関して触れることができた。

時代には、自らその時代の持つ形というものがあるような気がする。北京で一ヶ月住んでみて、その流れをとても感じることが出来た。それは、中国が発展している最中からなのだろうか?日本のバブル期もそうだったのだろうか?日本の数十年前と同じ様な状況であると聞いたことがあるが、どうも違うような気がしてならない。かつて「眠れる獅子」と諸国に言わせた様に、中国には土地と歴史が噛み合ったパワーがあるように感じられる。それはアメリカの持つ現代文明に基づくパワーとは全く異なるものだろう。自分が「大地の子」であると人に言わしめる国が他にあるだろうか。

僕は中学・高校生の時に武道をやっていた。その中で、日本独特の「間」というものが存在することを知った。武道の中では「間合い」というものである。この「間」というものは理解するのはとても難しい。知れば知るほど奥が深いことに気がつき、決して底が見えないのである。「間」を建築と繋げれば、「空間」という言葉が出てくる。よく「space」=「空間」と訳されるが、僕は間違っていると思う。空間と時間軸の調和、四季折々の姿を生活に取り込む、これこそが「空間」というものだろう。
日本は古来より多くのことを中国から学んできた。建築に関しても同様である。しかし、「空間」というものは日本独特のような気がする。もちろん中国にも「空間」というものが存在しているといえる。東洋思想の特徴として自然との調和があげられるが、これは中国の「空間」にも取り入れられているだろう。しかし、日本では自然に溶け込むのに対して、中国では自然と少し距離をおいているように感じられた。それは天壇公園などに行ったときも感じたが、特に感じたのは中国人の眼を見ていてであった。自分はよく人の眼を見る。なかなか見ていると面白いものである。「眼力」という言葉があるように、眼は多くを物語ってくれる。まだ人生経験の浅い自分だが、それなりに感じることはある。単純にいる場所によっても違うものである。北京の人々の眼もこの一ヶ月見てきた。道ですれ違う人々の眼はとても面白く、東京でよく見るつまらない眼より断然生き生きとしていた。

どんな場所にもそこにしかない時間の積み重ねがある。時間はただ流れるだけでなく、そこに何かを残していく。気候風土という自然の営みと人の営みの重なり合い、そこにしかない歴史的環境がつくられ、その土地が周囲に広がる様々な環境と影響しあっている。様々な要因が重なり、絡み合い、その場所固有のものが出来上がるのである。土地は生き物と言うこともできるだろう。「地霊」という言葉もその一例といえる。時の流れを吸収してきたかけがえのない場所をいとも簡単につくりかえてしてしまう力が今の都市開発にはある。その力を存分に発揮できてしまうのが「拆」というシステムである。乱雑なスクラップ&ビルドの繰り返しによる薄っぺらな北京にはなって欲しくない。バベルの塔の話では人間の行き過ぎた行動に天罰が下ったのだが、そこには謙虚さが求められている。謙虚さというものは、人間関係だけではなく、都市においても必要だろう。そして都市において建築が文化として根付くこと、それは、ただ大事に保存していればいいというわけではなく、生かしていくことが大切なのだろう。そこに楽しさを加えてもいいだろう。これは中国人の特技かもしれない。

最後に、

兵者(?)。国之大事。死生之地。存亡之道。不可不察也。

って孫子の言葉の記念碑がありました。
そこにパンダはいなかった。(後編)_d0078743_1615238.jpg


by uaaworkshop2006 | 2006-08-31 16:10 | ハセガワ


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