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パンダの秋
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9月になりました。区分的には一応秋ですか?まだ暑いですけど。今日一日歩きましたが北京でも秋っぽい!などと感じることは全然無かったですね。街を歩くと相変わらずお腹を良く見かけるのでした。

《今日の報告》
未だ北京市でSOHOより東にいったことがなかったので、今日は東へ進みました。四恵(東4環)で降りて寄り道しつつ2駅分(東5環まで)。その後終点の土橋(東6環)まで電車で行って、そこらへんを軽く見て回りました。
そこから市内へ戻って、世安里の秀水街を冷やかして4時過ぎにSOHOへ戻りました。秀水街はお客は皆外国人(含ヨコヤマ)でびっくりしました。完全に観光地です。
夜は明日から長春へ愛でたく旅立てることになったハセガワ君の送迎会で火鍋に行きました。ビザの期限はちゃんと確認しようね!

《今日の思考》-波状矩形的思考。

2環の中は四合院。
大きい通りにはオフィスビル。
小さい通りには商店。
2環の外は普通のレンガの家。
大きい通りには巨大な集合住宅。
小さい通りには商店。

「2環の外」を意識する。そこに矩形はあるのか。街区毎の開発、街区ごとの集合住宅がより鮮明になったそこは、街区同士の差が激しい。時期が来れば全域的に開発されるのだろうか?いや、既に老朽化も始まっているように見えた。だから今後はエネルギー的に有利な建て替えの可能性を考えることも重要になってくるだろう。
しかし、実際一番強く感じたのは4環より外に出ても、まだまだ都市が続いていることで、正直意外だった。3環辺りと同じように集住と、レンガの家と、市場がある生活が営まれていた。北京は広いが、かなり良い密度で広がっているというわけだ。同時多発的開発は、中心部を外れても、しっかりと行われていた。
今後どういう風に変化していく、或いは残っていくのだろうか。

《今日のまとめ》
疑問形は一見頭良さそうに見えるけど決定的に良くない。

# by uaaworkshop2006 | 2006-09-01 00:23 | ヨコヤマ
パンダは東京よりも大阪に多いんだって。
メンバーが4人居たときからなんですが、実は作業中にもフリーセルをやるようになってはや50戦以上しました。はまり易いんですね。麻雀止めてから前なら絶対しなかったような小ゲームを結構やるようになってしまいました。ちなみに勝率は90%以上です。だからどうした、といわれても困りますけど。

《今日の報告》
午前中は建国門駅からまず、北京古観象台(天体観測所)を見てから2カン沿いを南方へぐねぐねと、迷いながら、迷って、迷って、歩きました。
パンダは東京よりも大阪に多いんだって。_d0078743_2165572.jpg

最終的に生活に関わるものを何でも扱う感じの市場についたのでお昼をそこで買って食べ、建外SOHOへ戻りました。
午後は写真の整理と今後の予定、最終発表のイメージ作りをしました。今のところ、9月9日の発表は写真をぱっぱっぱっとお見せして、考えていることを話すスライドショー形式になると思います。あとそれまでに一度上海行きたい……

《今日のまとめ》
それよりも早く帰ってDVD(富豪刑事)みたい……

# by uaaworkshop2006 | 2006-08-31 21:07 | ヨコヤマ
そこにパンダはいなかった。(後編)
「私は大地の子ですから。」
これは『大地の子』の最後の言葉である。この言葉は、自分が今までに読んだ本の中で一番心に響いた。そして、中国という国を意識しはじめるきっかけとなった。
『三国志』『水滸伝』『楽毅』など、元々中国の歴史小説が好きで、自分なりに中国に触れてはいたのだが、市民レベルの視線での本は『大地の子』が始めてであった。この本では歴史的な背景はもちろんのこと、中国という国の特有性を強く感じた。当時は今よりもさらに幼かったが、それなりに中国という国について考えた気がする。そして月日は流れ、今年の春、東京JC主催の「国際貢献ミッションin China 2006」で中国を直に触れるチャンスに巡り会えた。ここでは中国(北京・上海・合肥)の表面を掬った、いや、触れたぐらいだった。
そして、UAAのworkshopで建築的な視点から中国の首都、北京、に関して触れることができた。

時代には、自らその時代の持つ形というものがあるような気がする。北京で一ヶ月住んでみて、その流れをとても感じることが出来た。それは、中国が発展している最中からなのだろうか?日本のバブル期もそうだったのだろうか?日本の数十年前と同じ様な状況であると聞いたことがあるが、どうも違うような気がしてならない。かつて「眠れる獅子」と諸国に言わせた様に、中国には土地と歴史が噛み合ったパワーがあるように感じられる。それはアメリカの持つ現代文明に基づくパワーとは全く異なるものだろう。自分が「大地の子」であると人に言わしめる国が他にあるだろうか。

僕は中学・高校生の時に武道をやっていた。その中で、日本独特の「間」というものが存在することを知った。武道の中では「間合い」というものである。この「間」というものは理解するのはとても難しい。知れば知るほど奥が深いことに気がつき、決して底が見えないのである。「間」を建築と繋げれば、「空間」という言葉が出てくる。よく「space」=「空間」と訳されるが、僕は間違っていると思う。空間と時間軸の調和、四季折々の姿を生活に取り込む、これこそが「空間」というものだろう。
日本は古来より多くのことを中国から学んできた。建築に関しても同様である。しかし、「空間」というものは日本独特のような気がする。もちろん中国にも「空間」というものが存在しているといえる。東洋思想の特徴として自然との調和があげられるが、これは中国の「空間」にも取り入れられているだろう。しかし、日本では自然に溶け込むのに対して、中国では自然と少し距離をおいているように感じられた。それは天壇公園などに行ったときも感じたが、特に感じたのは中国人の眼を見ていてであった。自分はよく人の眼を見る。なかなか見ていると面白いものである。「眼力」という言葉があるように、眼は多くを物語ってくれる。まだ人生経験の浅い自分だが、それなりに感じることはある。単純にいる場所によっても違うものである。北京の人々の眼もこの一ヶ月見てきた。道ですれ違う人々の眼はとても面白く、東京でよく見るつまらない眼より断然生き生きとしていた。

どんな場所にもそこにしかない時間の積み重ねがある。時間はただ流れるだけでなく、そこに何かを残していく。気候風土という自然の営みと人の営みの重なり合い、そこにしかない歴史的環境がつくられ、その土地が周囲に広がる様々な環境と影響しあっている。様々な要因が重なり、絡み合い、その場所固有のものが出来上がるのである。土地は生き物と言うこともできるだろう。「地霊」という言葉もその一例といえる。時の流れを吸収してきたかけがえのない場所をいとも簡単につくりかえてしてしまう力が今の都市開発にはある。その力を存分に発揮できてしまうのが「拆」というシステムである。乱雑なスクラップ&ビルドの繰り返しによる薄っぺらな北京にはなって欲しくない。バベルの塔の話では人間の行き過ぎた行動に天罰が下ったのだが、そこには謙虚さが求められている。謙虚さというものは、人間関係だけではなく、都市においても必要だろう。そして都市において建築が文化として根付くこと、それは、ただ大事に保存していればいいというわけではなく、生かしていくことが大切なのだろう。そこに楽しさを加えてもいいだろう。これは中国人の特技かもしれない。

最後に、

兵者(?)。国之大事。死生之地。存亡之道。不可不察也。

って孫子の言葉の記念碑がありました。
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# by uaaworkshop2006 | 2006-08-31 16:10 | ハセガワ
そこにパンダはいなかった。(前編)
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中国人と動物園に行ってきてしまったハセガワです。

さて、今日は軍事博物館へ行ってきました。博物館の内容への関心はさておき、地下鉄を乗ったときに駅名として興味があったのからはじまり、十大建築として、また、スターリン様式としてどんなものか興味があったからです。実際見に行ってみると、展示物にぶちのめされ、建築的な視点で見るまでにだいぶ時間がかかりました。それも、思い出したのがひょんなことからで、岩の壁面になんとも自分向けの高さと形の岩があったのでついついパンチをしたら…、

「ボッコ。」
「ん??紙かよ!!建物こんな立派なのに。そうだった!!この立派さがスターリン様式だった。」

みたいな感じで思い出したのであります。様式などについて説明しておくと、国家権力を示すためのシンボル的存在としてスターリン様式建築物がロシアや東欧に建てられ、中国においてもこの様式が採用されたのです。1958年、旧ソ連は中国に圧力を掛けようとして、中国の社会主義建設を手伝っていた専門家を全員引き上げさせてしまいました。それに対し中国は、中国人の誇りと意地を示すため、北京で十大建築工事に取り掛かりました。しかも急ピッチなのです。例えば、あの人民大会堂を288日で終わらせたことを考えればそのすごさが分かるのではないでしょうか。しかも、当時の中国は外国との貿易や経済協力がなかったことを考えると、50年代十大建築自体が中国の底力のすさまじさを物語っているのです。だいぶ簡略化していますが、そういう背景を持つ軍事博物館と道路を挟んで建っている現在のCCTVを比べるとCCTVがモヤシの様に思えてきました。
さて、展示内容についてですが、自分にとって一番衝撃的だったのは、ずらりと並んだ戦車、ミサイル、戦闘機などを見たときでした。そして、説明のところで「日本製」と書かれた文字を見たときの衝撃もかなりのものでした。戦前の「日本製」は、今の「日本製」と全く違った意味を持っているわけであり、その言葉が眼に入ってきた時は、弱っている時にいきなりくらったアッパーぐらいの感じでした。展示内容も調べて行ったので何があるかは多少知っていたのですが、この1Fの展示は、直接聞いた話や本でそれなりに戦争に触れていた自分にとって、建物の存在を忘れるほどの内容でした。さてさて、大好きな三国志や孫子が出てきてヘロヘロな自分を落ち着かせてくれ、やっとこさ4Fまでのすべてを見ることができたのですが、正直この美術館は内容が重過ぎました。(つづく)

# by uaaworkshop2006 | 2006-08-31 00:04
ハセガワ君、軍事博物館にはパンダいなかったの?
昼くらいにMさんが天津の写真見せてってこっちの部屋に来ました。
珍しいこともあるもんだと思ったけど最終的には結局そういうことだったのかって分かって妙に納得したヨコヤマです。(意味不明な文章ですいません。)

《今日の報告》
日本に持って帰る写真を選びました。
あと面白地図作成、14現象でどれをするかの検討など。

《天津旅行のまとめ》
天津の街の大きさは、昨日の天津地図の範囲が2カンにすっぽり入るくらいです。今知りました。結構狭いですね。街の中心を川(海河という名前です)が流れていてその北側に天津駅がありますが、建物に関してはヨーロッパのように新市街、旧市街という区分はあまりないようです。しかし河の南側にある解放北路だけは別格で、ここには銀行、保険会社、投資会社などがヨーロッパの様式で建てられたビルに入居していました。天津を歩いていると非常にしばしばヨーロッパの様式の建物を見ますが、軒を連ねているのはここだけでした。市内は商業関係の建物がほとんどで、河岸に工場が少し。気になったのは通信系の会社が多く、空を見上げるとビルの上につけられたアンテナがぽつぽつ目に入ってきます。
交通状態は、街の狭さを反映してか北京よりもだいぶ自転車が多いように見受けられました。道路の広さは同じくらいでも、2カン、3カンのような生活に絡んでくる高速道路がないのもそれを後押しします。特徴的なのは、3輪車はほとんど走っていなくて、代わりに自転車の2割くらいが電気自転車なことでしょうか。橋が生活の中に出てくるからと思われます。念のため付け加えておくと、日本のような激しいアップダウンは北京と同じく、皆無です。

まずは、「高架下プラザ」から書いていきます。
天津には高速道路が無いのですが、代わりにホニャララ立交橋という立体交差点が何箇所かあります。大通りの車の流れを潤滑にするためですね。結果として出来ているものは、「高架下プラザ」と同じような感じです。市の南西に有る八里台立交橋を見てきました。かなり大きかったです。
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天津は北京に比べると一年のうちで青空が広がる日は多く、黄砂もぐんと少ない(それでも増加傾向らしいですが)ので、日差しを避けようという意思の表れか、高架下には人がたむろしていました。北京ではこういった高架下で非道路の箇所はほとんど駐車場か駐輪場に使われていることを考えると驚きです。一部には畑になっているところさえありました。スペースの有効利用ということを考えたときに、北京のように消極的に使うのではなくて、もっと積極的に、交通の要所、人と人の交流の場として捉える天津的使い方には更なる発展を引き出す余地があるように感じました。無論そうしたときには駐車場、駐輪場の確保という問題を解決せねばなりませんが。

次に、天気の話が出たので「スモークアイランド現象」についても簡単に触れておきます。
晴れの日が多い上に歴史的観光名所がほとんどないため、天津では「スモークアイランド現象」は観察されないと思われます。ただ、黄砂よけ?のためになにがしかのネットをヘルメットのようにしてかぶる女性を散見しました。今は黄砂のシーズンでもないし、北京では話しに聞いただけで見たことがなかったのでちょっと感動しました。何故ネットをかぶっていたのだろう?
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同様に「波状矩形」、「Gridded Flontier」も天津にはないと思われます。
道路は確かにグリッドで引かれているところもありますが、ほとんど全ての地域でその規則は乱れているし、街を囲む道路も河の影響で綺麗な矩形とは程遠い。なにより古い民家は四合院ではなく、レンガの色がそのまま出た2階建ての建築(勉強不足で何と呼ぶのか分かりません)でした。これはこれで一研の価値が在りますが……
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逆に「折ズム」、「複製変異」、「ソトニケーション」、「Daily Installation」は全く共通に見えました。

天津の都市計画は異国情緒をテーマに掲げているようでしたが、目指す都市の形が違っていても当然折は使われていました。建物の複製に関しては、若干北京よりスケールダウンし(開発している街区が小さい)、サッシも共通な団地が北京よりも多いかな、という程度です。店をほったらかして中国将棋をするさまは北京と同じ。

「流浪するシステム」はちょっと事情が違っていました。
というのは、街の中でごくまれに分別を促すゴミ箱を置いた通りに出会うことがあったからです。もっとも基本的には人の手による分別が行われるようで、最終的なペットボトル集積場も市内で2箇所見ました。

「DoInsideYourself」,「HandMadeCity」、「どうして引越しするの?」は今回確認できませんでした。しかし「DoInsideYourself」は確かにお金持ちの家ではやっていると聞きました。

「リアルカタログ」、「陳列様式」は、天津の街の雰囲気と相まって非常に面白かったけれども、結論を言ってしまうと基本的には北京とあまり変わらない気がしています。
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初日に大胡同というところに行きました。そこは建材城と建材城の間、住宅と住宅の間に露天が並ぶというすさまじいところでしたが、そこで繰り広げられる風景は北京のお店と同じ。差異化の果てにアイデンティティーを探すならば、普通のデパートや繁華街を見る必要があるのかな、とさえ思ってしまいました。

《14現象について今のところの印象》
今回のワークショップは、「追跡調査」を掲げているので、なるべく早く扱うテーマを絞らなくてはいけない。その際基準になるのは、「新しい視点、独自の視点を持っているか」「21世紀的、北京的、都市を作る指針を提示できるか」「ヨコヤマが扱えるか(知識と調査方法について)」あたり。多分「どうして引越しするの?」「流浪するシステム」は扱いづらく、「スモークアイランド現象」「複製変異」はあまり有効な指針とならない気がする。
……もうちょっと良く考えてからにしよう。

《今日のまとめ》
そうこうしているうちに2週間の内の4分の1が終わっていた。

# by uaaworkshop2006 | 2006-08-30 22:38 | ヨコヤマ